通らば通らず


正論は誰の目にも正しいように映るから正論と呼ばれているわけだが、それを振りかざされている当人にからすれば、そんなものが正しいことはわかっていて、欲しいのは更にその先なのだ、ということはままある。

つまり、正論は誰の目にも正しいような意見であるがゆえに普遍的であり、個々人の細かい事情には当然対応していない。

そういうことだから、自分が正論を言いたくなる時は、相手の細かい事情に配慮する気がない時だと言える。


相手の事情が見えないから、正論めいたことを言うしかない状況というのもありえるかもしれない。その状況ち追い込まれてしまうと、大いに困る。言いたくもない正論を言わねばならぬから。


コミュニケーションをしようという気と、
それが可能な環境が大事だが、なかなかそれもうまくいかぬ世の中だ。

誰にでも通用する言葉では誰にも通用しないのだ…世知辛い…