無心


歌うというよりは叫ぶカラオケに行ってきた。
雨も湿気も吹き飛ばすくらいに。

目からは出てくれないので、全身で泣いておいた。

今日は配属になってから初めて私服をきて出勤した。雨の革靴はいろいろしんどい。
服が変わると、出勤の電車が随分楽だ。


社会人になってから、◯◯は無心になれるから楽しいという人をよく見るようになったけど、ぼくにはよくわからない。

無心になることが楽しいのか、考えなければならない何かを一時でも忘れられるのが楽なのか。

本を読む時間も、読むための知能と忍耐も、書く時間も、考える時間も、なにもかも減ってる。

持たざるものが持てるものの生活を望めばそこには不幸しか生まれないけれど、持てないなら持てないなりに幸せに生きる術があるじゃないかと思うようになった。省エネで生きていくのは悪いことじゃない。

単なる妥協かもしれないけど。



聞いてみたら、無心になれるから楽しいというのは、無心になることが楽しいのではなく、無心になってやっていたことの結果が、自分で思っていたものより良いものであることへの感動から生まれるものだと、友達が教えてくれた。

納得した。

教えられるまでわからなかったのは、つまりはそういうことなのだと思う。