人間関係関数

 
ぼくの人間関係の成立の可否を数式で表すとするならば、
 
y≦ax (a,yは定数)
 
なのです。
自分がaという定数で、
関係を結ぶ人間が変数xです。
その積、別に和でもいいのですが、その合計値が定数yを超えているなら人間関係が成立するといった具合の式です。
 
 
 
八方美人とかいうことではなくて、
誰とでも仲良くできる人、カメレオンのように自分の色、つまり自分の取りうる値を自在に変化させることのできる人っていますよね。
 
ぼくはそれの全く逆で、
だからaという定数なのです。
人間関係が成立するか否かは相手の取りうる値に依存しています。
 
 
 
もちろんいつでもどこでも我を通しているわけではないですけど、結局馬が合うなと思った人としかつるまないし、自分が無理なく付き合える人としか付き合わないのだから、自分自身が変わろうという意思は希薄なんだろうと思います。
 
 
いやもっと正確に言えば、
自分が変わっていることもあるのでしょう。
でもそれは相手に合わせてではなくて、ひとりよがりな変化なのです。
 
そして、私のわがままな変化に耐えかねて相手のとる値が下がっていって、私と相手の積か和がyより小さくなると、その関係は終わってしまうと。
 
 
こんなのでも友達がいることを感謝すべきなのか、
それとも同じことを繰り返して失った人たちがいることを悔やむべきなのかはわかりません。
 
 
昔は全て拾って行ってやる、というガッツのある若者でしたが、今となってはその元気もとうに失ってしまいました。
 
そういう意味では手元に残るものだけ持って歩いていけるこの感じが、ちょうどいいのかもしれません。
 
 
でも、
そんな消極的でいたらいけんよなあとも思うのです。
いい加減冷静になって相手のことを慮る必要がありますね。
 
 
今更振り返ったって遅いのになあ。