線を円にする考え方と自己 円

 

 

円にはどこが始まりで、どこが終わりなんていう概念は存在していません。

 

だから自分が線ではなく、円上にいると考えてみると、

自分より前に進んでいるように見える人も、

視点を変えれば自分より後ろにいると捉えることもできます。

 

リレーなんかで使うトラックを思い浮かべると、わかりやすいかもしれないですね。

 

こうなると、立ち位置はかなり曖昧なものになります。

同じことの繰り返しになりますけど、

遠くに見えるあの人が、じぶんよりとても前にいるのか、後ろにいるのかを決めきってしまうことができないからです。

自分の中で、あの人は前なのだ、後ろなのだと思い込むことはできますけど。

 

 

ですから円で捉えると、

自分を単純に他との比較で定義することはできなくなります。

前も後ろも、優も劣も、あなたの思う様だからです。

 

 

あまりにも現実からかけ離れている、と思うでしょうか。

そうですよね。

 

だから、

普段現実を生きていく分には線の考え方でいいんだと思います。

 

何が勝ちで、何が負けで、何が優れていて、何がそうではないのかがはっきりしていた方が目標も定めやすいし、達成もしやすいですから。

 

私の言いたいのは、

別に何かに優れているから、何かが劣っているから、

こんなことができるから、あんなことができないから、

そんな理由で自分自身はなくならないよという話です。

 

これはあなたがどんな状態であっても、

受け入れてくれる人はいるよ、みたいな優しい話がしたいわけではないのです。

 

自分は、自分自身から逃れることはできないという、

どこまでも恐ろしくそして自由な話なのです。

 

線の考え方をする時は、何と己を比較するかによって、ある意味で自分を変えることができます。自分の捉え方を変えることができます。

 

でも円で考えれば、

全ては自分次第、自分は自分であってそれ以上でも以下でもありません。

自分が自分をどう定めるかです。

 

 

 

 他との比較じゃない、ありのままの自分を受け入れるのもしんどいですけど、

 他との比較だけで、自分を判断してしまうのも寂しいじゃないのよ、と思いまして。

 

 

線を円にする、と書きましたが、

円が線よりいいわけではなくて、

他との折り合いもあるがままの自分を受け入れるのも同じくらい労力がいるし、

大事なことなんですってことが言いたかったのでした。

 

単にほかとの比較で、理想と現実との比較で、

だめになっていきそうな人を見かけたから、

殴り書いてやろうと思ったことが3日にわたってしまって自分の中でも変にハードルがあがってしまったのですけど、こんなよぼよぼな形で終局です。