良いだけは悪い
黒板消しを思い描いてほしい。
この黒板消しを「~ではない」という表現を3つ使って表してみよう。
できるだろうか。
「書くものではない」「鉛筆を消すものではない」「4色以上の色があしらわれてはいない」
ぼくが思いつくのはこの3つくらい。
皆さんはどうだろう。
たった3つの要素じゃ、うまく黒板消しには絞り込めないのではないだろうか。
それでは3つという制限をなくしたらどうだろう。
「丸ではない」とか「三角ではない」とか形を指定するだけでも相当数の要素を並べる必要がありそうだし、やっぱり難しそう。
今度は「~である」で黒板消しを表してみよう。
やるまでもないかもしれない。簡単だ。
「黒板に書かれた文字を消すものである」
この「~である」で表せば、たった1つの要素で黒板消しを断定することができる。こんなただ1つの性質しか持たないシンプルなものを表すのだって、「~ではない」から導き出すのは難しいということが分かってもらえただろうか。
自分で自分が何者であるかというのを考える時に、
ついつい自分の悪い部分、不足している部分の方に先に目が行ってしまう人がいると思う。
「スポーツ万能ではない」「速読ができる人ではない」「寝ている時にいつも目が閉じているわけではない」
など。
自分にとっての「~ではない」を考えだすと、
それこそ無限に湧いてでてきてしまう。あれでもない、これでもない。
黒板消しの話の論理からすれば、悪い部分、「~ではない」部分から自分を探して行ってもしようがなくて、自分の良い所、つまり「~である」の側から考えていった方が、より自分の真実に近づくことができそうだ。
人間は自分の「~ではない」要素に気を取られるあまり、
自分の持っている素晴らしい「~である」の要素の数々に気づいていないのだ。むしろその「~である」要素こそが、あなたそのものであるというのに。
なんて結論をすることはできない。
黒板消しの場合「~ではない」はそもそも黒板消しの構成要素ではなかったのに対し、人間の場合は「~ではない」も決して欠くことのできない自分の構成要素の一部である。
「丸ではない」「三角ではない」と言った時、確かに黒板消しは丸でも三角でもないが、「スポーツ万能ではない」というのはその人間を成す要素の1つになっている。
だから人間は「である」と「ではない」、つまり自分にとっての良いところと悪いところの両方から成り立っていることになる。
「あの人仕事はあんなにできるのに、女運がないんだってさ」
とか
「普段はただの飲んだくれだけど、いざというときにはやる奴だ」
のように、良いところと悪いところのどちからだけではなく、その両方が混然一体となって1人の人間に備わっているからこそ、人間は魅力的なのではなかろうか。
できれば悪いところは全て廃して、何でもできる万能人になりたいというのが人間の性なのかもしれないけれど、
そんあ良いだけの人間、もしくは悪いだけの人間なんか、付き合っていても面白くもなんともないと思うのは、ぼくだけではないはずだ。