かないくん展に行って
かないくん展に行ってきたので、
死について考えたことを書く。
かないくん展のひとつの問に、
「死んだらどうなると思う?」というものがあった。
まず死ぬってなんだろうって考えた時に、
色んな人にもう二度と会えなくなってしまうこと、自分がいないで成立する世界が生まれることだと思った。
そしたら、これってなんだか学校を卒業するのに似ているなあと思った。
学校を卒業したら、毎日顔を合わせていたはずの友達とも会う機会というのは格段に減る。もしかしたら本当に二度と会わなくなる人も、中にはいるかもしれない。
そして自分たちがいて、それで成り立っていたはずの学校は、自分たちの卒業と同時に瓦解してしまうなんてことはもちろんなくて、自分たちがいなくなっても変わらずに続いていく。
会えなくなるとか、自分無しで成立する世界が生まれるとか、
何でそんなことになるのかということを考えると、当たり前だけど自分を営む場所が変わるからだろう。
高校を卒業して、高校時代の友達に毎日会うことができなくなるのは、大学に行ったり、働き始めたりするからだ。(ぼくは浪人したけど)
それが自分でなくとも、人がいれば高校という場所が成り立っていくのも当然の話だ。
死んで現世の人たちと関わることができなくなるのも、
自分抜きで現世が成り立っていくのも、死をきっかけに自分が現世とはまた別の世界に移っていくからだと考えることもできるんじゃないかと。
この世から卒業することを、特別に死と名づけているだけなのではないかと、思った。
小学校は6年、中学校は3年、留年の条件などはよくわからないけど、
普通は高校が3年、大学は4年で卒業せねばならないことになっている。
自分が好むと好まざるとに関わらず、卒業はやってくる。これも、死ぬことに似ているなと思った。好むと好まざるとに関わらず、死は必ず訪れる。
卒業前になると、
ああもうこれで終わりなんだって思って、そこに自分が確かに存在していたのだという痕跡を残したいような衝動に駆られるのも、死んだことないからわからないけど、多分死と似てるんだろう。
逆に卒業後もいつまでも部活に顔を出す先輩が煙たがられるみたいに、
死後いつまでも現世に未練を残して顔を出す地縛霊も迷惑がられているし、
なんだかやっぱり卒業と死は似ているところがあると思う。
自分の在った痕跡の残し方は、
色々あるけれど、ぼくはやっぱりこうやって書いて残していくのが性に合っているなあというのも再確認した。
同じ目的で、ある人は歌い、ある人は語り、ある人は絵を描いたりするのでしょうね。
ステージが次に移った後で、それ以前のことでああしとけばよかったとか、ずっとあそこにいたかったとか、そんなださいことを言わないで済むように、やりたいこと、残したいものはやれる内にやって、残したいなと思いました。
問に答え忘れてた。
卒業と死は似ていると、そう思ったので、
僕の答えは「死んだら現世とは違うまた次のステップに進む」です。