絞るか、狙いすますか
小さい頃はちょっとした外出にもいちいち興奮して、
いろんなものに心動かされて、
毎日をものすごく楽しく、充足させていました。
それに比べて今は、
あらゆる刺激にすっかり慣れてしまって、
なかなか何でもを面白いと思いながら生活するのは難しくなってしまいました。
そして、そのだんだん不感症になっていくのを良くないことだと思って、
ずっと悲観的にとらえていました。
しかし何にでも興味がある状態から、
何かには興味がある状態になるからこそ、自分が時間を割くべきものを選ぶことができるようになるのだと思うようになりました。
幼少期のぼくは車が好きで、
ミニカーを集めたり、車に関する本を読んだりしていました。
小学校の頃のぼくは、絵を習ったり、水泳を習ったり、剣道を習ったりしていました。物語を書き始めたのはこの頃でしょうか。友達としゃべるのが好きでした。
中学の頃、まだ剣道をやっていました。勉強の面白さに気が付きました。友達としゃべるのが大好きでした。ブログを始めたのはこの頃ですかね。歌うのが好きでした。
高校の頃、ギターを始めて、バンドを始めました。勉強の面白さはすっかり忘れて、大人数で何かを作り上げることの面白さを知りました。
浪人の頃、勉強の面白さを再び思い出しました。
大学生になった今、車への興味なんぞとうに失っているし、絵は描きたいとは思えど練習する時間を割く気にはなれず、剣道もやめて、勉強は嗜む程度に、ギターは初めから熱中するほどはまっていたわけでもないので、当然続けていません。
ですが、相も変わらず人と話すのは好きですし、こうしてぺちぺちと文字を書くことも好きで続けています。
もちろん上に書いたのは一部のことなので、他にもやっていたことや、やっていることがあります。まあつまり、そういうことなのかなと。
何にでもは頑張れないけど、その何にでもは頑張れない自分が、頑張るべき何かを見つけるという意味で、だんだんと興味がないものからの刺激が薄れていくというのはありがたいことなんじゃないかと。
そんでもって、一切を切り捨てて何かに特化できる人は多分、天才と呼ばれるんだろうなあと思う。何かひとつのことだけに没頭するなんてことは、ぼくには怖くてできないから。その没頭したことで身を立てられなかったら? なんてつまらないことを考えて、保険をかけるようにあれもこれもと手をつけてしまう。
だから、何かひとつを選びとることができるというのは、
それだけで立派な才能なんだと思いました。
たくさんの中からそれを見つける人もあるだろうし、
いきなり当たりにぶつかって、最初からそれをとっていく人もあろうと思います。
ぼくは完全に前者なので、
まだしばらくは色んなことに手をつけていくつもりです。
いろいろにぶつかっても尚手に残ったものが、
本当に掴んで離してはいけないもの…?