待ちぼうけ

 
今になって思うのは、
鈍行の旅を始める前にパソコンを持っていくか否か悩んでいたあれ、あれは全く持って無駄だったということだ。
 
本当に悩むべきはそのパソコンの何倍と重さがあるであろう本の山、これを持っていくかどうかだった。
 
 
旅のコツは如何に荷物を軽く、少なくできるかなんてことを得意げに語るなら真っ先に置いて行くべきものを、勉強がしたくなるかもしれないなんて、宝籤が当たるよりも低い可能性のために持ってきてしまった。なんの躊躇もなく。あほ。
 
 
実家は良くも悪くも一人の時間がなく、何かに集中して取り組む環境としてはよくない場所だった。昔から家では勉強ができないたちだったけれど、理由はそこにあるかもしれない。ぼくは家族の中で、個にはなれない。
 
福岡最終日の夜。
ぼくはそんな家を飛び出して、一人外で本を読んでいる。最後の最後で本を持ってきたことは無駄にならなかったけど、果たしてこの読書自体に意味があるのかどうかは、よくわからない。
 
 
本を持ってきたのと同じように、
最後の最後で無駄にならなければよいけれど。
 
明日は平日なのだから。家族にも日常があって、一人で空港に向かわねばならないのだから。何もないのだったら今は家で過ごしたい時間なのだから。
 
 
待ちぼうけは
怠け者を諌める歌だけれど、
次にくるかどうかもわからない兎をただただ信じて待つというのは、それこそ常人にはできない偉業なのではないかと思ったりする。
 
 
今日の夕飯、お好み焼きだったな。