イン、アウトプットとバタフライ効果


油断しているとすぐにお腹を壊したり、唇や肌が乾燥してくると、いよいよ寒い季節になってきたのだなあと身を持って知ることとなります。



昨日は食肉センターという何の飾り気もない名前の焼肉屋さんに行ったり、本屋を巡ったり、ドミニオンをしたり、ラジオをとったりと、珍しく切れ目なく予定がありました。
糸井さんと早野さんが出した「知ろうとすること。」買いました。
読んだら感想を書くかもしれません。



話は変わりますけれど、ぼくは人間は関数のようなものだと思っています。
変換過程や変換効率のようなものは個人によって大きく違うのでしょうけど、人間はインプットなしにアウトプットはできない、と考えているということです。


この認識って結構大事なことだと思っていて、つまりどんなに付け焼刃のハウツー(つまり変換過程)だけを身につけたところで、インプットをまともにしなければ、アウトプットだってまともにはできないということです。


書こうと思えば題材がいるし、題材が欲しいなら、何か発想を得る出来事が必要になるみたいな話です。

そしてあらゆる行動の根源となるようなインプットって、自分が身を削ったり時間使ったりしないと、できないことなんじゃないかなと最近はぼんやり考えています。

それっぽい動機なんかはいくらでもそこらへんに転がってますけど、
自分の、自分による、自分のための理由は、やっぱり自分で見つけるしかないんじゃないかと。


家の中にいながらにして、あらゆるものが購入可能だし、友達をつくることも、話すこともできるし、世界中の情報を知ることだって可能だけれど、

自分に行動を駆り立てるようなびびっとくる経験は、外に出ないとできないんじゃないかと思う。


実際に体験してみると、はたから見ていたんじゃ気づかないような小さなことが、案外自分に大きく響くことだってある。