大学生活を振り返る1


誰も得しないセンチメンタルジャーニーを数日にわたって書いてゆきます。
卒業なんだもの。

四年前の今日、入学試験に合格していれば10日に届くはずの通知が来ず、己の努力不足は棚上げした上で、ぼくは世界で一番不幸な男の顔をしてこたつでふて寝していた。


父と母は仕事、妹たちは学校があって、家にいるのはぼくひとり。

何もやる気にならないから眠っているのに、夕方頃に目が覚めてしまって腹が立ったのを覚えている。

家に音がないと気持ちが塞がる一方なので、部屋の電気をつけるより先にテレビのスイッチをいれると、濁流に家や車が流されている映像が映った。

寝ぼけた目にはそれが映画のワンシーンのように見えた。その頃は、まだ人が流されているのがそのまま報道されていた。

チャンネルを変える、また濁流。
濁流。濁流。

そこでようやく、これが今、日本で現実に起こっているものを映したものだということに気がつく。

調べると、大きな地震があったらしい。
地震とはほぼ無縁な福岡に住むぼくには、震度7がどれほどの揺れなのか、見当もつかなかった。

関東、東北に知り合いは多くないが、父の弟家族と、合格発表を東京に直接見に行った予備校の友人達の安否が心配された。

電話もメールも通じなかったけれど、当時まだSNSの主流だったmixiを通じて、予備校の友人達が無事らしいことを知る。父の弟家族も無事だった。


何の取り柄もないぼくが、か細くも支えにしてきた学力の面で無能であることを突きつけられ、国外の人間ですら大きな支援の手を伸ばしている中で、同じ国に住みながらも何ら有効な支援もできずにいる自分の存在に、疑問を抱かないわけにはいかなかった。

ぼくにできたことといえば、

逐一余震の情報を追い、
これ以上被害が拡大しないことを祈り、
ほんの少額の募金をすることくらいだった。

何かをしようとする意志だけはあるのだという、弁解以上の働きはない。


そういう年に、ぼくは大学一年生になった。