過去は推進力


眠いのと花粉で目が開いていないと言っても過言ではありません。泣いてはいません。すぐには実感のわかない男なのです。

卒業式の後、
出会った知り合いと写真を撮り、
部室に顔を出して、お昼を食べたり、半ば封印気味になっていた64を引っ張り出してスマブラをやったりしていました。

この赤色のコントローラは、新入生用だと先輩が言っていたなとか、部室からでて左手に曲がって、階段を降りてから生協に行くあの道すがらとか、やることなすことがいちいち懐かしく思われ、そしてそれらが思い出になっていることに気がついた時に、本当に全部終わるのだと悟りました。


大きな道すがら、縁あって一箇所に集まっていた人たちが、またばらばらの方向に向かって歩き出していくのが卒業だという風に考えていますが、今回ほど、そのばらばらの方向に向かって歩き出していくの部分に意識が向く卒業は初めてです。

みんなとは、またねと言って別れたけれど、そのうち縁の続いていく人が何人いるのかと思うと、結構寂しい思いです。

自分の自由にできる時間が減ることと、全く未知の環境に飛び込むことへの不安が、そのまま人間関係の継続への不安になっているような気もするので、仕事に慣れてしまえば案外全然大丈夫なのかもしれないですけど。

とは言え同級生にもちらほら結婚する人もいるし、この先もこれまで通りとはやっぱりいかんのでしょうね。


贅沢の限りなら一度尽くしてみたいですが、ここまでわからないことづくしで未来をかためられると、わくわくしていいやら、はらはらしていいやら、心が落ち着きません。


カラオケオールなんていう一年生のようなことをして、帰って少し寝て、20分で荷造りをし、案の定あらゆる忘れ物をしたことに気がつきましたが、今はもう飛行機の出発を待っている状態なのでいかんともしがたいです。残念。

ひとまず、
福岡に帰ります。