かたち


インプットが足りねえということで、仕事終わりがたまたま六本木だったのでシンプルなかたち展に行ってきました。

かたちがシンプルが故に、普通の美術展に比べると作品に関する解説が充実していたように思います。大体のことは難しくてわかりませんでしたが、創作、特に絵とか彫刻なんかがそれひとつで完結した行動であるというぼくの認識が間違っていたということだけはわかりました。

何か表現したい事象、形にしたい思いみたいなものが先にあって、作品はあくまでその後についてくるもののようです。

シンプルなかたちというのは、高度に抽象化されたかたちと言い換えても差し支えはなく、それゆえに美しくもあり、わからなくもあるわけなんですが、その中で陶磁器とか、茶道具みたいな用途が明確で、かつ親しみのあるものというのは他の展示と比べても、際立って美しく見えました。

ぼくは岡田紅陽さんの、神韻霊峰という富士山の写真と、円空という人の彫った簡素な木の仏様が展示の中では特に印象的でした。

富士山も仏様も、どちらも散々見たことのあるモチーフなんですが、今まで見てきたものと全然違うのです。

特に仏様は、簡素も簡素、
ほとんど棒っきれと区別のつかないようなものもあるくらいなんですが、木に浮かぶ表情がこの上なく柔和で、これを仏と呼ばずして何が仏かという気にさせられる、不思議な仏様でした。


仕事と家とを往復しているだけだと、
特定の感性しか働かないルーティーンが出来上がってしまうのかもしれないと、思いました。

くるくるルーティーンを回して、つまらないかたちで凝り固まってしまう前に、
日常にもぽとぽとと違った楽しみを落としてゆかねばならんなと、実感するところのものであります。

行き遅れてゆく感触をひしひしと感じる今日この頃、私は今日も元気です。