写真、光陰


早く仕事が終わったので、サイゼリヤで二時間くらい友達としゃべっておりました。高校生かと。

サイゼリヤのお子様メニューの表裏表紙についてる間違い探しがついていることを今日初めて知って、その難易度についても4000字くらいで言及したいのですが、今日はそんなことはどうでもいいのです。

その二時間のおしゃべりの相手は会社の同期だったので、お互いの過去を紹介するという意味でFacebookの写真を今から順に遡ってゆくみたいなことをしていたんですよ。ちなみに相手は男で服装はお互いスーツで、場所は繰り返しになりますがサイゼリヤです。何やってんだまじで。

で、振り返ってたら、
今年の初めの、祖父とぼくの年の祝いをやった時の写真が出てきたんです。

ぼくの家族と、いとこ家族と、じいちゃんと、ばあちゃんが写ってる、集合写真。

Facebookなんか普通スマートフォンからしか見なかったので、今まで気がつかなかったんですけと、iPadで見た写真のおじいちゃんとおばあちゃんは、すごくやせ細って見えたのです。

一緒にいる時はすごく元気だし、お別れの時にする握手だって相変わらず力強いけれど、間違いなく歳をとってるんだと実感したのでした。

写真じゃわからない現実もありますけど、
写真からわかる現実もあるんだと思いました。


盆、どうしようかなと思っていたけど、これは帰省しなきゃなんねーなと決意したのでした。