難しいお年頃
ぼくは大学の四年間、お笑いをやっていた。
やっていたというのは、自分でネタを書いて、舞台に立って、ウケたりスベったりしていたということだが、そういう人前に立つことを四年間もやっていて、ついぞ他者から見た自分というものを意識することができなかった。
例えば、ファッションセンスのとてもある人。
これは単に服を選ぶセンス、服の形の組み合わせ、色の組み合わせのセンスがあるというだけではなく、自分の顔立ちや背格好に合った世界観を選ぶ、あるいは作り出す力があることだと、ぼくは思っている。
これは服だけを見ていて身につくものだというよりは、むしろその服を着たときに自分がどう見えるか、という視点を如何に持っているかが非常に重要な要素ではないかと思う。
この例えを出すとぼくにファッションセンスがないことまで一緒にバレてしまうことになることに今更気がついたが、時すでに遅し。ファッションセンスはない。
他者から見える自分というものに無自覚なぼくなのだけれど、いよいよもってそんなことではいかんと思わされることが最近多発している。
ぼくは今年の4月1日をもって企業に雇われる身になった。つい先日ついに配属になり、部署の人と配属それなりにうまくやっている。
部外の人とお会いする機会も多いところなので、その度に上司がぼくをうちのチームにきた新人だといって紹介してくれるのだが、
ぼくを新卒だと認識してくれる人がいない。
新卒だと申し出ると、親の仇が化けて出たかのような顔で驚かれる。
いや、今までも老け顔扱いを受けていたならいいのだ。だがそうではない。むしろクソガキに見られることが多かった。居酒屋で一人だけ年確を受けることも少なくなかったのだ。
この落差。
そして自分が徐々にアラサーににじり寄ってきているという事実。
このダブルパンチを喰らって、
ぼくは他者から見える自分を意識せざるを得なくなったのです。
若さにしがみつくのではなく、年相応…より少し若く見えるように。
思春期以来の、難しい年頃である。