レイヤーマン


友達と集まってワンナイト人狼なるゲームをやってきました。初めてだったのと、頭の回転が悪いのとで苦戦したんですけど、ぼくひとり人狼な時に運良く何度か勝てたおかげで、1位でした。わいわい。


誰がどの役職なのかというのを暴き出すためにあれやこれやと話し合うわけなんですけれど、
そこでよく出てきたのが、「レイヤー」という言葉でした。

それは論理のレイヤーな、とか
それは感情のレイヤーな、みたいな。


話として聞いている分には全部いっしょくたに、同じ強度で響いてくるんですが、そうやってレイヤーとして分けて考えてみると、実は全然そうじゃないというのが見えてくる。

こっちに肩入れしたいと思った時に、
それが論理的な説得力があるからなのか、心情的にそうしたくなっているからなのかが、自分の中で整理できるのです。
ろくに考えないままに納得しそうになる場面って日常においてわりと多くあると思うんですけど、自分が何に説得されそうになってるのかを、対象をひとつをまるごと分析するんじゃなくて、いくつかのレイヤーにわけて考えるといいんじゃないかなあという。

酔っ払ってるんでなに言ってるかわからないと思うんですけど、デカルトという偉くてかしこい昔の人も困難は分割せよみたいなことを言っていた気がします。それは大きいものを大きいままに考えるのではなく、自分の対処できるサイズに変換した上で考えてみいということなのではないかと。

それがとりもなおさず、レイヤーにわけて考えるということなのではないかと、そう思ったのでした。