2015年、気がついたこと

 

2015年の反省は、

去年も、その前の年も、その前の前の年も、そのずっと前の年とも同じ、

何も考えずに生きてしまったことだ。

 

親の庇護の下で生きてきた昨年まではまあそれでもよかった。

しかしこれからの人生については、孤独に生きようが結婚して家庭を持とうが、

いずれにしても自分の力で生きていかなければならないので、例年通りではいけない。

 

お金がなければ生活は成り立たない。

当時のぼくは自分が就職活動を間近に控えていたこともあって、生活の必要から人々は職に就くことと夢を叶えることを天秤にかけ、結果前者を取ることを選ぶと考えていた。

 

夢と職業が一致するのはごく限られた人の特権だ。

だからその他大勢は就活と自己実現は相反するものとして語り、

自己実現を犠牲にする代わりに、就職によってそれなりの安定を得ようとする。

 

ぼく自身、勉強して、それなりの大学を出て、名前を言えば誰もが知ってる企業に就職をすればなんとなくそれで生きていけるのだと思っていたけれど、案外そんなこともなさそうだというのが今年わかった大きな現実だった。

 

じゃあ就職には夢も希望もなければ、安定すらもないのかと言われれば、

多分大多数の人にとってはそうなのだと思う。

 

ただ、もうひとつわかったことがある。

就職をすると生活の大半の時間をその会社に捧げることになるのでつい錯覚してしまうけれど、就職先で働くことが人生ではないのだ。

会社で働くことは、たくさんある収入を得る手段のひとつにすぎない。

 

だから当然ながら、なりたい自分になることと就職はトレードオフではない。

 

働いているとそれでなんとなく生きていけるから、つい考えることをやめそうになる。現状を維持することに徹しそうになる。

 

とにかくそういう人生はやだなあというのが、

今年働いてみて気がついたことだった。