3月

 

戦後の貧しい時代を生き、

勤勉に働き、現代社会の礎を築き、家庭を持ち、

子をもうけ、そうやって頑張ってきた祖父や祖母が、

どういう思いの中でこの世を去ったのかはぼくにはわかりません。

 

そうした80年の重みも、去り際はあまりにあっけなく、

骨壷は悲しいくらいに軽く、3月にあった葬儀では、一方で泣く人があれば、

他方ではおらず、人の人生とは、その人の一生とはと、思わずにはいられんのです。

 

家族と離れて暮らしているぼくが最近思うことは、

自分の人生に関係のある人間というのが如何に少ないかということです。

友達や同僚や、会社や大学の先輩、後輩、そういった人たちは、

環境によって変わっていくもので、人生に関係があるかと言われれば、

必ずしもそうであるとは言えず、仮にぼくがここで死んだとして、

それが誰かの人生に何かしらの影響があるようなことは決してないはずで、

そうであればこそ、自分の人生にはなんの意味があるのだろうとそんなことを考えてしまう。

 

これといったあてはなく、

かといって今を存分に謳歌しているかと言われれば、そういうわけでもない。

そんな感じで、年始から元気も覇気もないが、生きてはいるのだ。