帰省ー出来事ー
3月に葬儀があったかと思うと、4月には地震があって、
そんなことだから長めのGWは家族と過ごすと決めてあったのだった。
福岡の実家に、熊本の祖母がやってきていたので、
ぼくは鹿児島の祖父のところに一人遊びに行った。
昨日はちょうどこどもの日であったので、
ぼく以外の孫や、じいちゃんの子らに手当たり次第電話をかけて、
じいちゃんといろいろ話をしてもらったりした。
今まではまずばあちゃんがいたし、
鹿児島に帰る時はだいたい家族やいとこがいたりしたから、
じいちゃんと二人で過ごすのは初めてだった。
妹が生まれた時に、父方、母方の祖父母が両方千葉にやってきたことがあって、
その帰りに父方のじいちゃんが、母方のじいちゃんに贈った焼酎があって、
夜ご飯のときはそれを二人で飲んだ。
亡くなったばあちゃんと、それをプレゼントしたこれまた亡くなったじいちゃんの話をした。
二人で話をする時は、アルバムがとても役に立った。
ぼくは、親戚が妹を見る度、母の小さいころに似ていると言うのを不思議に思っていたので(少なくとも今は全然似ていない)、母の昔の写真を見たいと言ってあちこちからアルバムを引っ張ってきたのだ。
実際アルバムを開いてみると、母の昔の写真だけでなく、
じいちゃんとばあちゃんが島で暮らしていた頃の写真とか、
じいちゃんとばあちゃんが結婚したばかり(!)の時の写真とか、
母方家族が職場の旅行に行った時写真とか、それ以外にも親戚のこどもとか、結婚式とか、本当にいろいろな写真が出てきて、その度にこれはなんだあれはなんだとじいちゃんに聞いて、あれこれ答えてもらった。よく覚えているなあと思った。(親戚の子たちの現住所とか今の職業とか、これは誰の子、彼の子みたいなこと)
今までもたくさん昔話を聞いてきたけれど、
今回は今までよりずっと具体的な、じいちゃんがぼくの歳の頃だった時の話とか、
ばあちゃんとどういう経緯で結婚することになったかとか、母さんを育てていた時の話とか、そういう話がたくさん聞けた。
じいちゃんは家を綺麗にしているし、
日めくりカレンダーも毎日欠かさず破いていて、
ばあちゃんが亡くなったあの日に取り残されずに、元気に生きているなあと思った。
朝7時半には起きて朝ごはんを食べ、11時すぎにはお昼を食べて12時から14時くらいまでお昼寝をして、それから買い物にいったり、ご飯の用意をしたりして、17時過ぎには夕飯を食べ始め、21時には眠るというごくごく健康的な生活で、毎度のことながら、ぼくは生活リズムを矯正された。
とても素敵なことなのだけれど、このリズムでは来週の社会復帰が危ぶまれるので、今日明日でまた再矯正する必要があるなと思っているところだ。
続きからは、ほんとに細々とした出来事。
じいちゃんの故郷では、鯖は鯖でも稚魚のことは青鯖(青二才の青、小さいみたいな意味らしい)と呼び、中くらいのをぐにくん、成魚になったものを初めて鯖と呼ぶんだとか。
昔からそうだけど、鹿児島の祖父母の家はゴキブリがよく出る。
晩酌をして、じいちゃんが寝た後に、残ったビールと刺し身を食べ終えたので、
流しに持って行こうと思ったらゴキファミリーがいたのでサレンダーした。
泊まっている間は2階で寝ていたんだけど、2階で1人で寝るのは初めてで、
情けないことに普通に怖くてあんまりよく眠れなかった。
広いし暗いし鏡は何個かあるし、タンスの模様はオドロオドロしいし、扉もいくつもあるからだ。小さいころ怖いと思ったものは大きくなってからも変わらず怖い。
じいちゃんにポン酢と白だしの使い方を教えた。
フライパンがぶっ壊れたので一緒にスーパーに買いに、バス停に行ったら二人とも財布を忘れて引き返した。