帰省に際する話

小さい頃の自分は、じいちゃんばあちゃんを魔法使いのような不思議な存在だと思っていた。

自分の欲しいものは全部先回りして用意されていた。
 
お菓子やアイスや、その他食べ物もなんでもあって、好きなだけ食べなさいと言ってくれる。それでも何か足りないものがあれば、用意するからねと言ってくれる。
節度をわきまえた子どもであったと信じたいけれど、それでも帰省時には随分わがままを言っていたと思う。
 
大人になって、久しぶりに祖父母の家に帰ると、その不思議な魔法はすっかりとけていた。
あんなに大きく感じていたじいちゃんばあちゃんの背も、すっかり追い越していた。
 
なんということはない。
自分も歳をとった。じいちゃんばあちゃんも歳をとった。それだけのことだ。
同じ年月で、自分は知恵をつけ少したくましくなった。
じいちゃんとばあちゃんはより歳をとって少し元気がなくなった。
 
過ぎていった時間の中で、じいちゃんとばあちゃんが使っていたのは、魔法ではなくお金だということを知った。じいちゃんとばあちゃんが、お金をどういう仕組みで得ているかということも知った。
自分自身でお金を稼ぐことも覚えて、お金の大切さ、稼ぐことの難しさも知った。
 
祖父母の家に帰ると、今でも昔と同じようにもてなしてくれようとするじいちゃんばあちゃんの姿がある。でも、気持ちにいろいろなものがついてきていないのは、一目でわかる。
お金なんかいらないし、じいちゃんもばあちゃんもゆっくり座っていてくれればそれが一番いい。
家事なら自分がやるよ、と言うけれど逆にあんたが座って休んでいなさいと言われる。
 
自分は昔よりできることも気づくことのできることも増えた。
だからこそ、今度は自分がじいちゃんとばあちゃんに楽させる番なのだと思うのだけれど、ちょっと掃除を手伝うとか、ちょっと食器を洗うのを手伝うとか、ほんの少しのことしかやらせてくれないのだ。でも、それで十分だと彼らは言うのだ。
 
じいちゃんばあちゃんのもてなしは、きっと喜ぶべきことなのだろうけど、辛いというか切ないというか。
 
やりきれないところは、父や母に任せて、自分は次の番を待っておこうとそう無理矢理納得をするのだ。