覆水は本当に盆に返らないのか

 

いつもいつもそうだというわけではないけれど、

時々遠く昔にやってしまった失敗をふと思い出して、後悔する。

 

友達の鉛筆を貸してくれという頼みを、自分はたくさん鉛筆を持っていたにも関わらず断った、とか

本当は自分から入れてほしいと頼んだのに、他の人には誘ってもらって入ったんだと吹聴してみたり、とかそんなレベルの後悔だ。

 

今となっては時効だろうと思うし、

なんだったら、それぞれの出来事の当事者ですら忘れてしまっているようなことかもしれない。

自分でも何故こんなことを未だに思い出すのか、不思議だ。

本当に申し訳ないと思っているのか、それとも当時の青さへの後悔なのか。

 

他に大きな失敗はいくらでもしているはずなのに、

思い出すことはいつも日常に即した小さな失敗ばかりだ。

こいつらは多分これからも自分の頭に立ち上ってくるのだろう。

そしてその度に、水に一滴ずつ墨汁を垂らすように、ゆっくりと少しずつ、

自分のお腹の所が黒くなっていくような気持ちがするのだ。

 

普段は忘れているから、

気付いたら真っ黒けっけということにもなりかねない。

 

メサイア・コンプレックスというのがあるのだけれど、

自分のお節介焼きはもしかするとこの墨汁を掬い上げようとしているのかもしれないなと思う。

 

メサイア・コンプレックスについてはまたいつか。

 

後悔というのはどのような形であれ、やはり気分がいいものではない。

 

午前中に書くと言ったのに、もう13時だしなあ。

ハプニングは仕方ないから、せめて自分が口にしたことくらいは守らないといけないな、ということで〆!

 

起きた時には12時でした。びっくり。