名前
私は父のことをずっと怖い人だと思っていたので、
中学3年生になるまではまともに会話すらしたことがありませんでした。
会話らしい会話をしたのは高校生になってからで、
個人的に連絡をとれるくらいの距離感になったのは、大学に入ってから、というか本当にごく最近のことです。
ここにきて父と仲良くできるようになったのは、
私は私で父のことを怖いと思わなくなっているし、父は父できっと昔より丸くなったからなのだと思っていました。
多分にそれもあるんでしょうけど、
実際のところはお互いに「接し方がわかった」というのが本当のところなのではないかなと、今日トイレで用を足している時にふと思い当たったのです。最近トイレネタが多いですが、トイレで思い当たったのにはちゃんとした理由があって、でもここ書くことはできません。
私の名前、漢字で書くと二文字になるんですが、
そのうちの一文字は父の名前にも入っている文字です。
もちろん偶然の一致ではなくて、父が自分でその漢字を私の名前にいれたいと言っていたと、いつだったか母から聞いたことがあります。
これだけでも、父が私に対する思いの大きさがわかります。
でも私は両親の間に生まれた最初の子だったので、
多分父は、赤ちゃんの私や子どもの頃の私と、どんな風に接していいか、その勝手がわからなかったのだと思います。
そう思って振り返ってみると、確かに子どもらしい扱いを受けた記憶は一度もないように思います。怒る時は母に怒るように私に怒り、
ものを教える時もとくに噛み砕いた説明などはなしに、理論からはいるような人でした。過去の回想なので過去形なだけですよ。今でもぴんぴんしています。
子どもというのは現金なもので、子ども扱いされることに慣れている上に、大人に対して子どもとして扱われることを期待している節もありますから、幼いころの私が子どもを子どものように扱わない父を恐いと思っていたのは当然と言えば当然なのかもしれません。
父は父で子どもを子ども扱いするということがどういうことなのか、わかっていなかったのでしょう。父として子にどのように接すればいいのか、わからなかったのでしょう。
父から私に働きかけることは、今でもあまりありません。
ただ、思い返してみると私から働きかけた時、父は必ずそれに応えてくれていました。
野球とは全く無縁な人生ですが、
小学校の頃は野球少年の友達が多かったこともあり、
父とのキャッチボールをしてみたくなって、父にその話をした時、
その場でスポーツショップに連れて行かれ、ボールとグローブを買ったことがありました。
父と子のキャッチボールと言えば、そこには会話のキャッチボールも含まれるのでしょうが、私と父の場合は特に会話もなく、ボールだけが行き来していましたが。
それでも私は楽しかったし、父も心なしかはしゃいでいたように思います。
父が投球ミスしたときに、うわああごめんんんみたいなリアクションをとったのに驚きながらも、なぜだかとても嬉しい気持ちになったのを覚えています。小学校の中学年くらいですかね。
低学年の頃は、
ドラゴンクエストモンスターズが面白いらしいという話を父にしたら、それを一緒にやろうということになって、あれよあれよという間にソフトを与えられ、二人で対戦などしていました。
当然父は手加減なんかしませんから、私が手塩にかけて育てたパーティーはめちゃくちゃに倒されてしまうのですけど。
これでも近所の子の中では一番強かったのになあ。
幼稚園の頃に初代ポケットモンスターをプレイしていた頃は、あまりにも幼すぎたので父も自分でポケモンを買っていましたが、対戦などはしていませんでした。もしかすると、通信対戦や交換を推奨していたポケモンで私と一緒に遊ぶつもりで父はポケモンを買ったのかもしれません。(わざわざ私とは違うバージョンを買っていました)
事実はどうだかわかりませんけどね。
ただ、今になって父のことを父のようだなあと思えるようになったことがよかったなあという話なのでした。
父のようだなというか、父なのですけど。