考えを着つける

 

太宰さんの『家庭の幸福』を読んでみて、

考えていることから、それが小説として具現化するまでの過程の一端を覗いたような気がした。普段完成品しか目にすることのない立場の私からすると、こういう裏側が垣間見える作品というのは、とてもわくわくする。

 

 

『家庭の幸福』は、とあるラジオ放送を聞いた太宰さんが

考えたあれこれが、徒然に書かれていた文章だ。

そしてその文章の尻尾の方には、その考えたことを基にした小説の構想がざっくりと書かれてある。

 

これを読んだ後、

きっと小説家というのは何か物事を説明する時、

喩え話をするのもすごく上手なんだろうなあと思った。

 

自分だったらきっと、

この『家庭の幸福』の冒頭に出てくるラジオ放送を聞いて、

太宰さんと全く同じ気持ちになって文章を書いたとしても、

考えたあれこれを書くところに留まってしまうだろう。

 

しかしひとつの考えが、

何かしらのエピソードをまとって現れた時の方が、

裸のまま提示された考えよりも印象に残るのは間違いないのだ。

考えに、きれいにエピソードを着せるのが上手なのが、小説家なのだと思った。

 

 

『家庭の幸福』を書く原動力になっている考えはただのひとつ。

 

「家庭の幸福は諸悪の本(もと)」

 

これをもとに、一体どんな文章が展開されているか気になった方は、

是非ご一読を。