取捨選択
例えば月の平均支出が6万円、収入が15万円だとしたときに、
毎月10万円貯金したいとしたら、どうするかなあと考える。
どうにかして収入をもう1万円増やす、という考え方もあるだろうけど、
手っ取り早いのは支出を1万円減らすことじゃなかろうか。
毎日買っていたお菓子の量を半分に減らすとか、
外食を控えて自炊するとか、
そんな感じで、自分の支出の内訳から、必要なものと、そうでないものを分けて、
そうでないものをなくすか、あるいは量を減らせば、
1万円くらいの節約なら簡単にできてしまいそうだ。
人生における行動の選択肢にも、
同じことが言えるんじゃないかと、そんなことを思う。
さっきのお金の話ならば、
収入を増やすという選択肢がとれなくもないけれど、
こと人生に限ってしまえば、上限を増やすことはなかなか厳しそうだ。
決められた時間を、何に使うか、しっかり考えてうまくやりくりする他ない。
あれやこれやと、日常に溢れる雑多な娯楽に身を委ねているうちに、
本当にやりたいことをやろうと思った時に時間がないなんてことになったら、
なんてことを考えると、人生には「必要」を追い求めること以上に、私はこれには時間を割かないという「不要」を見極めることがとてつもなく大事なのではないかという気がしてくる。
無駄の多い人生だってそれはそれで充実しているだろうし、
何をもって良い人生とするかにもよるのだろうけど、
あーもっとこっちに時間使っときゃーなーとあとになって後悔するくらいならば、
事前にしっかり取捨選択した方がいいんじゃないかなあという話。
ちなみにぼくも今確認するまで自信がなかったのだが、
取捨選択は
「あるひとつものについて、それを必要か不要かを判断する」
という意味ではなく、
「必要なものを選び取り、不要なものを捨てる(コトバンク)」
という意味らしい。
黙っていてもいろんなものが手元にやってくるご時世、ひとつひとつはどれも楽しげで、自分にとって益がありそうな感じがする。
だからそれそのモノに対してではなく、
こう在ろうとしている自分や、やろうとしていることに照らし合わせて、
そこから逆算して要不要を判断することも、時には必要なのではないかなあと、
普段は全く無益な惰眠を貪りながら艦隊を出撃させているぼくが、布団の中でそんなことを考えた。