人生の通知表

 

 

自分が死んだら、

自分の葬式には誰が来てくれるんだろう、なんてことを最近考えます。

 

決して死んでみたいなんてことではなくて、

葬式に足を運んでくれた人が、

そこで終わった自分という人間に対して、

どんな事を思うのかに、興味があるのです。

葬式じゃなくてもいいや、私が死んだって事実を聞いて、その人が何を思うのかが、

知りたいんです。

 

そんなもん、

今聞いてまわればいいだろというようにも思うのですが、

生きてる人間に対して無遠慮にあれこれ言うのってなかなか難しいじゃないですか。

 

 

あとは、

自分がもうこれで最後だっていう時に、

自分はどんな走馬灯を見るのだろうというのも気になったりします。

 

一般的に言えばまだまだこれからの人生の方が長い歳なので、

走馬灯の方もこれからの人生での経験の割合が多くなるのかもしれないし、そうじゃないかもしれません。

それだって全部が終わってみてから振り返らんと、何が人生において印象深い出来事だったのかなんか、判断できんなと思うわけです。実際は判断なんかする間もなく、次々勝手に浮かんでは消え、浮かんでは消えしてゆくのでしょうけど。

 

この記憶を思い出せたらいいな、というのはあるんですが、

果たしてそれを、本当にその時がきたら、思い出せるんでしょうか。

 

自分が思ってきた人生と、

その時振り返らされる人生との間に極力差異が生まれないような生き方を、したいもんです。