愛と尊敬
昔バイトしていた飲食店はめちゃくちゃサービス残業をさせられたし、
ものすごく怒られたし、あほみたいにシフトいれられて、
正直辟易していたけれど、店長含めそこにいる人達がとても真っ当だったので、学ぶものも多かったし、気持ちを濁らせることなく働けていました。
就活も終わって一段落したので、
今また別の飲食店で働きだしたんですが、
人員も、お客さんへの配慮も、設備も、気配りもこだわりも、なんかもういろいろ足りていないので、働いていると精神を削られるような心持ちになります。
前にバイトしていたとこの店長が、
”自分かわいいと損得勘定が先にくるやつは人の上に立つべきじゃない”とのたまっていましたが、そういう気概って何するにしたって本当に大切だよなあと思うのです。
真っ当な気持ちというか、もう愛ですよね。
必要なのは愛です。
愛のないところでは、相手の存在より自分の楽々を優先させるだろうし、
愛のないところでは、他に判断基準がないのだから損得勘定で動かざるを得ないだろうし、そんななんでもないようなもので繋がった人間同士の関係が、いいものになるわけがなくて、やっぱり必要なのは愛なのです。
愛は、相手を知ろうとする気持ちだと言い換えてもいいでしょう。
相手のことなんか知る必要もなければ、相手に知られることもないのネット上では、お互いが姿の見えない相手に対して何とでも好きなことが言えてしまえます。炎上とか、過剰に個人を攻撃する、ネット特有のあの現象、現実で実際に起こそうと思ったらリスクが高すぎて中々できないですよね。相手に自分のことを知られてしまったら、報復されるかもしれないわけですし。
まあもっと話は簡単で、
知らない人に優しくするより、知ってる人に優しくするほうが簡単じゃんかってことなんですよ。
知ってれば思いやれるし、配慮できるし、
そうしたことは、やっぱり必ず自分に返ってくるもんですし、
そうやって世界が回っていきゃーいいのになって思うんです。
まあでもぼくだって今のイヤなバイトの管理者どものことなんか1ミリだって理解したくないと思ってしまっているし、
そういう知ろうとする気持ちを、ごくごく小さなコミュニティから如何に広げていくかっていうのはなかなか難しい問題なのかもしれません。
尊敬できる部分があるかどうか、というのがひとつ大きな鍵なのではないかと思っているけれど、その相手が自分に愛を持って接してくれるかどうかがそこには大きく関わってくるような気がするので、結局のところ話が堂々巡りになってしまうなあと、頭の中でぐるぐる考えています。