深みへ

 
時間に濃淡のイメージを持っている人や、数字に色のイメージを持っている人、音に温度を感じる人などが世の中にはいるらしいけど、
 
それならぼくは言葉に開閉のイメージを感じる人だ。
 
 
開閉というのは、わかりやすく言うなら誰かのためものか、あくまでの自分のためのものかみたいな違い。
 
結婚指輪を言葉だとすると、
かぱっと外側のケースを開けた状態で外に晒されてるのが開のイメージで、
ケースにしまわれたまんまの指輪が閉のイメージ。
 
その人の言いたいことがすんなり入ってくるとか、その人自身が感ぜられる言葉が開いてて、そうじゃないのが閉じてるって感じ。
 
 
そんでもって、自分の文章を振り返って見ると、閉じてんなあと思うことの方が多くて、なんだかなあといった具合。
 
 
文章の上手い人は、その人特有の文法とかリズムがあって、一読でその人の文章だとわかったりするもんですが、そういうのって書き続けてりゃ身につくみたいな、そんな簡単なもんでも当然ないわけで、今までの趣味と同じように、最近は壁というか、成長の踊り場にいる自分にいらだったりしています。
 
なんていうんですかね。
借り物の言葉でしゃべってるみたいな。
恥ずかしさをおして告白するならば、もっと魂から湧き出た言葉で話したいですよね。
 
 
広く浅くいろんなことを書いてきましたが、アンテナにひっかかることを集約すると結局同じようなところに着地するので、そろそろ広げるのではなくて深める方法論を学ばねばならんと思っています。いろいろと。