思いと考えの蓄積の果て
昨日と今日とで劇的に変化したりしないわけで、
そういう昨日と今日とを繰り返しているのだったら、
人間、大きく変わるもんではないのかなあと思ったりします。
で、その自分の変化のなさ、進歩のなさというのは、
放っておけばそんなに意識もされないんでしょうけど、
こう毎日自分の考えたことや、日常過ごしたことを書いていると、
自分で自分の変化のなさの証拠を刻々と残していっているような気がして、最近少し参っています。
同じようなことで感動したり、同じようなことを考えたりした時に、書いて残しておかなかったなら、それを毎度新鮮にできるんでしょうけど、書いて残しているばっかりに、それ前も考えたよ! それじゃあ記事にならないよ! なんてことを思ってしまいます。
環境要因というよりは、
こればっかりは自分の気の持ちようの問題なんだろうけど。
もちろん書いて残しておくことの利点というのもあって、
自分の考えを曲がりなりにも文字にしておくと、
それを客観的に眺めることができるので、ぼんやりと頭の中に置いておくよりも随分整理がやりやすくなります。
それにぼくはアホなので、書いて残しておかなければ、毎回何か思いつくたびに、これは中々いい考えだぞ(思いつくのは2回目)みたいなことになりかねません。これも防ぐことができます。
あとは、書くために頭の中であれこれ組み立てをしていると、
なんだか構造は前に書いたあれと似ているぞなんてことも多々あります。同じことがこれにも当てはまるぞ、とかも結構あります。
考えや思いをストックすることは良いことだと思っていたけど、
案外生物濃縮によって毒素が蓄積されていくような、そういう負の側面もあったりするのだなあというのが、1年半くらいブログを続けてきて感じたことです。
でもこの踊り場を超えたらなんだかもう少し自分が良くなれるような気がするので、今回ばかりは踏張ってみようと思います。