最近の更新はと言うともっぱらスマートフォンを通じて行っています。

最近なんて言っても、
http://occanic.hatenablog.com/entry/2014/11/27/225611:この記事あたりでパソコンを壊して以来ずっとなので、かれこれもう3ヶ月くらいになります。

タブレットがあるにはあるんですけど、キーボードに打鍵感がないことに伴う打ち間違いが非常にストレスフルで、それだったらもう携帯でいいよ! と対象のない怒りを仕方なしに携帯にぶつけている次第です。

液晶テレビみたいにノートパソコンももっと安くなってくださいお願いします…。
とは言うもののその安くなっているテレビすら、ぼくは持っていないんですが。



今日は教習所で救急救命の学科を、3時間連続で受けてきました。


主に傷病者の移動、体位の安定、心肺蘇生法、止血法について学んだんですが、内容がすごく合理的なんですよね。

例えば意識のない傷病者の移動に際して、その人に足に怪我がなければまずは左右どちらかの足をもう片方の足に乗せてクロスさせるんです。

何故か。

運ぶ時には傷病者の上半身を起こした状態で後ろから抱え込んで、足は引きずるような形にするんですけど、その時の摩擦抵抗を足一本分に減らすためだそうです。

意識のない傷病者の顎をあげた状態で横向きに寝かせて、舌が喉の奥に落ち込んでいくことを防ぎながら気道を確保するための回復体位なんてのがあります。

この体位を作る時も、体を横向きに固定するために傷病者の足をストッパーがわりに使ったりとか、顎をあげた状態を維持するために手を顎の下にひかせたりとか、とにかくひとつひとつにきちんと理由があって、合理的以外の何物でもないんですが、この講習受けて、ぼくには医者は無理だったなあと心底思いました。

そもそも脳みそのスペックが足りないので土台無理な話なんですけど、意識がないと人間ってこんなモノみたいに扱われるんだなと思うと怖くなったのです。

傷口見るのも、血を見るのも平気ですけど、そんな風に人を扱わねばならんという状況に身を置き続けることは、ぼくにはできんです。


正確を期するなら、
人間の物理的な脆さに目を向け続けて生きていくことが、ぼくにはできないというところでしょうか。


お医者さんは偉大です。
友達にも何人か医者を志す人がいますが、改めて立派だなと思いました。