大樹と枝


本でもブログでも社説でも、何か人の考えが述べられているものを読むと必ず思うのが、それはおれも考えたことあるわ、だ。そしてそう思った時に、いつも一緒に思い出すことがある。

昔ネットのあらゆるところで掲示板が隆盛していた頃、念レスという言葉があった。
念レスというのは、例えば掲示板を読み進めているうちに、自分が書きたいと思ったまさにその意味内容が、他人の手によって書かれていることを指す。

例えば何か特定の書き込みに対して、いやそれプラシーボじゃなくてスパシーバだろとツッコミたくなったとする。そのツッコミが自分が書き込む前にすでに誰かの手によって書かれていたら、それが念レスである。

かなり飛躍するが、
あらゆるものがこの念レスによって構成されているのではないかと思うことがある。

ぼくが考えたことあると思うようなことは、他の人は当然考えたことあるに違いなく、それがどういう状態なのかを勝手に空想した時に、あらゆる考えは人々の中に共通のものとして流れているもんなのではないかと思ったりする。

人々の中で考えは全て共有されていて、
でも普段意識レベルにまであがってくるような強い考えというのは個々人で異なるみたいな。


だとすると、考え方の違いというのは、その個人があらゆる考えのうち、どの側面を担っているかの違いになる。

そんな風に考えると、相容れない人間がいるのは性質上しかたがない。そんな風にできているのだから。


あくまで空想なので、実際は気が合わない人とも仲良くやっていかねばならんですし、
個人個人はもちろん別の生命体でしょうけど、

まあでもユング集合的無意識みたいなもんが本当にあるんだとしたら、なくはないような気がしないでもないような。