最後に残るのは空かもしれない

 

自分の卒業した小学校の校庭で、昔と変わらず休日に少年野球チームが練習しているのを見たりとか、たまたま入った居酒屋の店長が中学の同級生だったりとかすると、ああ自分はここに長く住んでいたのだなと思う。

 

どこに行っても全く新しい「場所」はなくて、

必ずそこにはいつかの自分の体験や記憶が付随している。

これからも自分に縁のある「場所」というのは増えていくだろう。

 

かつて自分がいた所には、また新しい誰かがいるし、

誰かがいた場所に、今度は自分たちが進んでいく。

 

時間の流れというか、普段は意識もしないような

世代の流れというものがはっきり目の前に現れていて、

野球チームとか、居酒屋の店長とかを超えて、

もっともっと昔、それこそこの土地に住み始めた人たちとか、

自分が死んでからそのずっと後に、この土地に住んでいく人たちとかにまで、思いを馳せてしまったとかいう話なのです。

 

今を生きているのは間違いなく自分なのだけど、

その今は色んな人の生活がぐるぐると刻まれて出来たものなのだなあと思う。そして未来の人にとっての今の一部に、意図するとせざるとに関わらず、自分がなっていくのだなと思う。

 

 

 

そんなことを自転車でふらふら「場所」めぐりをしながら考えていた。

目の前に少し長く急な坂道があらわれる。

空気を入れたばかりのぐんぐん進む自転車に乗っていた私は、

坂と勝負してやろうという気になって、年甲斐もなく立ち漕ぎで一気に坂を登り切る。

日は傾きかけていたけれど、それでも汗だくになって、登り切った所に自転車を止めて少し休憩する。

自転車に体を預けるようにして振り返ると、平地より空が広く、近く見える。

 

登ってきたばかりの急な坂道を見下ろして、一気に下れば楽しいだろうなと思った。登りは苦労したから、下りはペダルをこがずにどれだけ進めるか、試してみよう。私は頬の汗を吹いてから、ハンドルに手をかけスタンドを蹴った。