いたちごっこ
最近、今のままでは資本主義はダメだ、とか従来型の消費社会(?)を続けていくことはもうできないとか、そんな議論やら意見やらをよく見るようになりました。
で、
本当にびっくりするのが上に書いたような意見や議論は、学術界では何十年と前からされてるということなんですよ。
いや気づいてたんかい、と。
私たちからすれば目新しい問題のように感じるそれを、もう何十年も前から予期して問題視してたんだと。
すごいなと思うと同時に、もったいない、と思うわけです。
気づいていたなら、もっと声高に叫んでくれたら今起こってる種々の問題は、もしかすると未然に防げたかもしれないじゃないかと。
しかしおそらく、
どんなに強力な波及力を持つ伝達方法を用いてその警告を行ったとしても、
実社会を生きる我々は、なんのこっちゃわからんと、学者さんは考えすぎなんだよ。大丈夫大丈夫。
みたいなね。
そんなことになるんだろうな、というのもなんとなくわかる。
それから時が経ち、
そんな私たちでも感じることのできるくらい問題が大きくなって初めてそれが問題となって物議を醸すようになる。
これでは結局最初の先見の明があった人たちの問題提起や警告はまるで意味がないじゃないか、と思うのです。
その問題自体が初めから対処するとせざると関わらず、大きくなっていく運命だったのか、
それとも先見の明のあった人たちの意見が少しでも世間に浸透したら、あるいは予防できるものだったのか。
ひとつの問題が予防できたとして、
それで社会は万事がうまくいくということでもなく、その問題を免れたからこそ生まれる新たな問題というのもあるのだろうな、とか。
そうなると、
なんだかなーと思うのです。
学問の世界に身を投じたいと考えたりもするけど、世間の役に立つのかなあなんて。
福沢諭吉は学問が身を助けると言ったけれど、今の世の中もそうなのでしょうか。