ゆめにっき
からっぽの言葉
馬鹿という言葉に対して、
怒る人もいれば、愛を感じる人もいれば、劣等感を感じる人も、
馬と鹿と書いて馬鹿、と復習する人もいる。他にももっとたくさんいる。
言葉の力ってすげーって思ってたけど、
極論、見る人の見た時の気分で解釈されざるを得ないから、
どんなに好意的な文章でも嫌味に受け取られることもあるし、
なんか難しいなあとなった。分かり合えねえとなった。
定期的にこんなことを書いている気がする。
いい加減分かり合えないことを前提にどう生きるかについて考えるべきだと思う。
雪の日はおやすみ
高校までは徒歩か自転車で通学し、
大学でも1,2年は徒歩、3,4年は電車でしたけど、
雪の日に大学なんぞに行くわけもなく、
だから今日が首都圏の雪害のなんたるかを思い知った初めての日でした。
雪害の中でも、常に渦中の鉄道だった田園都市線が通勤経路に入っている人なんかは、軒並み昼を過ぎてからの出社になり、ぼく自身も1時間半遅れました。
通勤途中、電車の車両は想定を遥かに超える人でぎゅうぎゅうになり、ぼくの左腕は圧迫され、腰は曲がり、鼻も曲がりました。
車内がそんなんだからホームはホームで待てど暮らせど電車に乗れない人で溢れ、こういうのを悪循環というんだなと思いました。
今日の雪は結構前から予報されていたし、その規模が大きくなることもわかっていたのだから、対策のひとつでもできたんじゃないかと鉄道初心者のぼくなんかは思うわけですが、プロ都民から言わせると、年に1回起きるか起きないかの雪害なんかのためにいちいち対策なんかしていられないと、そういうことらしいのです。
そこら中に張り巡らされた線路の隅の隅までお湯を撒き散らすスプリンクラーを設置するのにかかる費用と、その効果、雪害が起こる頻度を天秤にかければ、割にあわないというのは明白な気もします。
だったらもう、
雪が降ったら学校も会社も休みにすればいいんじゃないかと。
普段の満員電車も大概ですけど、今日のあれはほんとに人が乗るもんじゃなかった。
あの状況でなお、出社へと人々を駆り立てているものは何なんですかね。ぼくを含めですけど。物理的な苦しさもですけど、早く行きたいのにそれを阻まれていることへのもどかしさやイライラで充満した空間に長く身をおくことの方がしんどかったです。
けが人もでているし、おやすみにすればいいのにと心底。
そういえば、そのぎゅうぎゅう電車の中では、最近やり始めたボルダリングの体重移動やホールドの知識が結構役に立ちました。
朝が長かった分、一日が短く感じましたが、少し疲れが厚いので今日は眠ります。
文はやりたし書く手は持たぬ
onaka
腹痩せをせねばという焦燥感と、
運動をなるべく避けたいという怠惰によって、
水ダイエットなるものを調べてたんですけど、
体重×0,4リットルの水分を摂りましょうとか書いてあるんですね。
20リットル近い水を飲むためには、単純に考えても一時間ごとに1リットルと少し飲まなければならないので、それだったら30分ウォーキングなりジョギングなりした方が全然楽ちんだな…となりました。
ダイエットはやはり楽じゃない。
2015年、気がついたこと
2015年の反省は、
去年も、その前の年も、その前の前の年も、そのずっと前の年とも同じ、
何も考えずに生きてしまったことだ。
親の庇護の下で生きてきた昨年まではまあそれでもよかった。
しかしこれからの人生については、孤独に生きようが結婚して家庭を持とうが、
いずれにしても自分の力で生きていかなければならないので、例年通りではいけない。
お金がなければ生活は成り立たない。
当時のぼくは自分が就職活動を間近に控えていたこともあって、生活の必要から人々は職に就くことと夢を叶えることを天秤にかけ、結果前者を取ることを選ぶと考えていた。
夢と職業が一致するのはごく限られた人の特権だ。
だからその他大勢は就活と自己実現は相反するものとして語り、
自己実現を犠牲にする代わりに、就職によってそれなりの安定を得ようとする。
ぼく自身、勉強して、それなりの大学を出て、名前を言えば誰もが知ってる企業に就職をすればなんとなくそれで生きていけるのだと思っていたけれど、案外そんなこともなさそうだというのが今年わかった大きな現実だった。
じゃあ就職には夢も希望もなければ、安定すらもないのかと言われれば、
多分大多数の人にとってはそうなのだと思う。
ただ、もうひとつわかったことがある。
就職をすると生活の大半の時間をその会社に捧げることになるのでつい錯覚してしまうけれど、就職先で働くことが人生ではないのだ。
会社で働くことは、たくさんある収入を得る手段のひとつにすぎない。
だから当然ながら、なりたい自分になることと就職はトレードオフではない。
働いているとそれでなんとなく生きていけるから、つい考えることをやめそうになる。現状を維持することに徹しそうになる。
とにかくそういう人生はやだなあというのが、
今年働いてみて気がついたことだった。