言葉を着る

 

言葉を発する時、

話すときも、ここを書く時なんかもそうなんですが、

その言葉を発する時に、完成物を出すことなんていうのは本当に稀です。

 

大概の場合は、言うこと、書くことがもやもやとしたまま、

雰囲気で言葉にしてしまう。

 

そして恐ろしいことに、それはある程度相手に通じてしまう。

 

というか、

雰囲気で話してしまっても通じるだろうという前提があるから、

あえて頭の中で言うこと、書くことをきっちりかっちりしないままに話し始め、そして書き始めてしまうのでしょうね。

 

まだ書き言葉は後からいくらでも訂正できますから取り返しがつきますが、話し言葉はそうはいきません。

 

形にこそ残らないけれど、出したものをひっこめるということはできないのだから、しっかりと語尾まで、口調まで、声のトーンまで、もっと言うなら言葉を発する時の表情まで、頭の中でかっちり想定してから物を言いたいもんだと思います。

 

知らない人とか初対面の人と話す時なんかは特に。

 

以前書き言葉を鍛えれば話し言葉も自然と鍛わると思っていたら違ったという記事を書いたんですが、両者の違いは多分取り返しがつくかつかないか、ですね。(ぼくの場合は書き言葉はブログなので、いくらでも書き直し、削除ができます)

 

最後に、

人は見た目が9割なんていいますが、

その見た目の中に服装や髪型が含まれているのと同じで、

使う言葉や、言い回しや、口調や、

そこから受ける印象というのも個人的にはその見た目の内だと思っています。

 

すごく大人びているのに、話し方が絶望的に幼稚だったりすると、

あれ? ってなりますよね。

 

 

意味内容への誤解もそうですが、

見た目と話し方の齟齬みたいなのも解消できていくといいなあと思います。