大学生活を振り返る3


【1の要約】

受験と震災のダブルパンチで自分の無能を思い知った

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そういうことなので、
今の自分のままではいかんという気持ちが2011年4月段階ではものすごく強かった。

どのくらい強かったかというと、東大へのコンプレックスくらい強かった。井の頭線のホームに立つだけで吐き気を催していた頃もあった。懐かしい。


やったことのないことをやろうと思った。そのチョイスがお笑いになったのは、偶然だけれど、本当によかった。

自身の器に見合わない尊大なプライドと、妙な完璧主義を持つことの無意味さを、舞台に立つことで学ぶことができたからだ。


というのも、ぼくは面白くなかった。
舞台は観客と自分のリアルタイムな公開コミュニケーションだ。面白ければ笑いが返ってくるし、つまらなければ空調の音が聞こえる。

このリアルタイムと公開されているというのがミソで、笑いが起きている起きていないは誰の目にも明らかなので、なんの言い訳もできない。

スベった後で、お客さんがたまたま喜怒哀楽を家におき忘れたままライブに来てしまったのだと自分に言い聞かせても、他のコンビで笑いが起きてしまうと、それが違うということがすぐに分かってしまう。


人間に備わっている数ある欠点の中でも、”面白くない”というのはどうしてだか自分にとって受け入れ難いものだった。頭が悪いより嫌だった。頭が悪いと笑いがとれないということは、後になってからわかった。

そこから試行錯誤して、
変なプライドであれこれ恥ずかしがっていることが、なりふり構わず頑張っていることよりはるかにカッコ悪いことに気がついた。

その気づきによって、面白くなかったぼくは、面白くなくもないぼくに生まれ変わることができた。

昨日の卒業ライブでちゃんと笑いがとれたのは、嬉しかった。


以前も書いたかもしれないがこの時期になるとよく、大学生活でやり残したことは? と聞かれる。


単位はとった。
将来自分が入らないだろうなと思う世界を知りたくて、いろいろバイトをして、どこも円満に退職した。
お笑いやった。最後笑いとって引退した。
一年人より余分に受験した経験をどこかに還元したくて、無償の講師もやった。
そういう過程で、やっぱり無能を思い知る機会はたくさんあったけど、うだうだしている暇を与えてくれないようなとこばかりだったから、とにかく頑張った。

ゼミ入れなかったのは、少し心残りかもしれない。
しかしそのおかげで学部専攻に縛られずに勉強できたから、どちらがよかったとも言えない気がする。

就職活動も、まあなんとかなった。

友達もわずかばかりだけど増えた。
彼らは友は量より質だと言って憚らないような連中ばかりだけれど、彼らが良質な友達なのかはわからない。彼ら同様に、ぼくの方にも見る目がないからだ。


実は元々私信のために始めたこのブログも、気づけば2年近く続いている。

書いて見えるようにすると、自分の考えが如何に変わりばえしないかが如実にわかる。裏を返せばそこには一貫するものがあるということで、それは書いたからこそわかることだ。

ぼくはアホなので、書かなかったら何かを思いつく度に自分に感心し、思いついたことを忘れて、思い出した時また同じように感心する人生を歩んでいたに違いないと思う。

国外に出てみることができたのもよかった。これはもっと早くに実践すべきだったけど。

思い残すことはない。

やってきたことは、全部終わらせた。
終わっていないのは自動車の教習だけだ。部屋の片付けも終わっていなかった。


今までの人生で、振り返って楽しくなかったことがないので、総括としてはその例にもれず楽しかったということになってしまう。


そういうことになってしまう大学生活でよかった。