国と動物

 

七夕だっつーのに、こちらは雨で、

星の一つも見えやしません。

 

今日は珍しく書きたいと思うことがいくつかあります。

その時一番書きたいと思っていることが一番筆が乗るんですが、

昨日宣言したからには、今日はガンジーヒトラー話をしましょう。

 

 

ガンジーは、もちろんあのインドのマハトマ・ガンジーのことです。

ヒトラーも、ドイツの、あのアドルフ・ヒトラーのこと。

 

ガンジーと聞くと、ほぼイコールで

「非暴力不服従」という言葉を思い出す人も少なくないでしょう。

受験期に鍛えた反射というのは根強く残るもののようです。

 

第一次大戦終了後、イギリスの二枚舌を引っこ抜こうとはせず、

だからといって従うこともせず、第二次大戦が終わってからも尚インドの独立のために立ち上がったインドの偉大なる魂の言葉のひとつに、次のようなものがあります。

 

「国の偉大さ、道徳的発展は、その国における動物の扱い方で判る。」

 

ガンジーが動物を如何様に扱っていれば、その道徳的発展度が高いのかということについては、すいませんわからんのです。

が、当然動物をぞんざいに扱い、虐待するようなことが褒められるわけもないので、おそらくは対等、あるいはそれ以上に扱うことが良しとされるのでしょう。

 

そこで、出て来るのがアドルフ・ヒトラーです。

こちらで反射的に出て来る知識と言えば、ユダヤ人の虐殺でしょうか。

たとえ同胞のゲルマン民族であっても、一度政敵と見做せば容赦無く粛清したりと、徹底的な独裁を行っていた人です。

 

非人道的なことをたくさんやっている彼ですが、

実は動物の関してはしっかりと法律を作ってまで保護を与えています。

 

たとえそれが調理目的であったとしても、

麻酔なしに殺すことを禁じたり、

動物実験をする際にも非常に厳しくその条件を定めたりしていました。

 

他にも例えば10万円で買ったペットが病気になった際、

その治療学が10万円を超えてもその費用は違法な請求ではないこと謳うなど、「動物に対する人間の責任」というのを明文化していたのです。

 

この動物の扱いだけを見て、

先ほどのガンジーの言葉から判断するならナチスドイツは偉大で、道徳的発展度の高い国だということになりましょう。

しかし、ぼくはそうは思えんのです。

 

ガンジーの言わんとしていたことは、一体なんなんでしょうか。

 

ガンジーカースト制度における、不可触民という被差別階級の撤廃を目指す活動をしていました。

一方でヒトラーは、ユダヤ人という被差別階級を作ることで国をまとめました。

 

ガンジーの中で、人や動物は全て平等だったのでしょう。

ヒトラーの中でユダヤ人は、他の人間や、動物よりも下に位置づけられるものだったのでしょう。

 

だから最初に引用したガンジーの言葉はおそらく、

ともすると人よりは劣った存在として見られがちな、動物をどのように扱うかで国の偉大さ、そして道徳の発展度がわかるという意味なのでしょう。

 

生きとし生けるものを、差別することなく平等に扱う、そういう心構えがあるかどうかが、その国の懐の深さをはかるものさしになるというのが、ガンジーが言わんとしていたことなのではないかなと思いましたとさ。