茨城から帰って

 
一泊二日の茨城の旅が終わり、
今終電に乗って帰ってます。
 
ちなみに最寄駅に着くのは1時です。
 
 
楽しかったし、電池ないし、腰据えて書きたいこともあるのでひとまずここで。
 
 
無事乗り換えができることを祈ってくれると嬉しいです。風呂には入ってしまったので、電車に気持ちよく揺られると眠ってしまいそうなのです。
 
 
そして案の定翌日になるという。
 
 
無事帰ってきました。
最寄り駅でズボンのポケットに手を入れた時に、家の鍵が見当たらず一瞬発狂しかけましたが、シャツの胸ポケットに入ってました。よかったです。よかったと口にだして言ってしまったくらい安心しました。
 
 
旅の最後は、先日行ったやすらぎの湯にまた寄って、
2、30分ばたばたとお湯に浸かってから、家へと向かう終電、その最初の電車に乗り込みました。
 
余裕を持った旅も、それはそれで楽しいんですが、
いけるか? いけるか? とギリギリを突いた行動が、ぼくは如何にも旅らしいように思えて好きです。
 
 
ぼくの生活基盤は、
今自分が下宿している神奈川の某所と、
実家のある福岡の某所です。
 
普通旅って観光を目的に行って、
それってあくまでお客さんとしてその場所に行くから、
自分の生活基盤はあくまで自分の住んでいるところであって、
仮に旅行先に泊まったとしても、それは揺らがなかったんです。
自分が旅先に混じってしまうなんてことは、今までなかった。
 
 
でも今回の旅は、旅と言いつつ何か名所をめぐるとかではなくて、
泊まった友達とゲーセンに行ったり、ラーメン食べに行ったり、ハンバーグ食べに行ったり、カラオケに行ったり、よくわからないめちゃくちゃ規模のでかい中古ショップに出かけたり、友達が郵便局に荷物出すのに付き合ったり、車の修理費のツケ払いに行くのについてったりと、そこに住む人の日常に根ざしたような行動をとっていました。
 
それだから、ここに住んだとしたら、遊ぶ時ってこういうところに来て時間を潰すんだろうなとか、外食するならここに来るんだろうなとか、そういうことをやっていたことになります。
 
そういうことをやってると、何だか自分がどこにいるんだかわからないような、変な感覚になりました。その土地の生活に、自分が没入していって、自分が普段やってる生活の「当たり前」が崩されていくような、そんな感覚に。
 
昨日の夕飯は友達家族と餃子を食べました。
ラー油が切れてるから、外出先から帰る時に、ついでに買ってきてというので、ラー油買って帰りました。
外から見ても、なんか緑だなと思うくらいニラたっぷりの餃子で、とても美味しかったです。もずくのスープも美味しかった。
 
「一人暮らし」をしているぼくとして、友達の家には遊びに行っていたから、やっぱり人とあーだこーだ言ってご飯を食べるっていうのは、妙ちくりんな感じがしました。
 
あ、あと食卓を囲んでいた中に友達の姉がいたんですけど、この歳になっても友達の兄だとか姉だとかに会うのは気まずいものでした。
弟とか妹とかだと、自分にもいるので接し方が分かる分気まずさはないんですが、兄姉はいないので、どう接していいかわかんなくてどぎまぎしてしまうんですよね。
 
 
日常生活のリズムとかって、
良くも悪くも崩しづらいというか、
同じところにいると、同じように生活ができるので、
その殻を破ることが難しかったりしますが、
場所を変えるだけで、簡単にそれができてしまうんだなという話でした。
 
環境のせいにするのは甘えだという人もありましょうが、
環境から受ける影響は、無視できないほど大きいものだと思います。
、旅というほどのものでなくても、普段出会わないような人がいるところに行ってみたり、普段見たことのないようなものを見に行ってみたりするだけで、案外簡単に気分や自分って変わるものなのかなと。
 
友達の家は広い広い関東平野にあって、
見渡す限りずーーーーーーーーーーーーっと平地で、高い建物も、山も何もないところで、そういうとこを車でびゅーんと走ってると、とても爽快で気持ちが良かったなあというのが、とても印象的でした。田んぼ田んぼ畑畑、夕暮れ夕暮れ、みたいな。
 
 
とても楽しい旅でした。
寒くなったらまたおいで、一緒にゴマ坦々鍋をしよう、とのことでしたので、また寒くなったら行くことになるでしょう。
 
その時は、
また違った自分で、
また違ったものをそこで感じられるといいなと思いました。