千里の道を共にする友はあるか
20140819 下書き投下part4
人間関係を道を往くことに例えるなら、友人は
共に道を往く人だと思っていました。
しかし最近は、
道を歩いていて、たまたまその場を共にすることのある人が、友人なのではないかと思うようになりました。
たまたまっていうのは言い過ぎかもしれんですが、
要は、無理に歩調を合わせたり、歩く向きを揃えなくても、
自然と近くを歩いていけるような人が、友人なんじゃないかと。
更に言い換えるなら、
逃げ場のある関係こそが、正しいあり方なのではないかと、そんな風に思うようになったのです。
共に道を往くのが友人なら、
それは共にあることが前提になってしまう。
それを前提とすると、共にいられなくなるような事態が起こった時に友人関係を続けるために、共にあるために、相手を自分に合わせたり、自分を相手に合わせたりすることもあるだろう。それではどちらかが自然でなくなってしまう。
それが上手くいかなければ、共にあれない人とは人間関係を断ち切るしかない。0か、100か。共にあるか、否か。
これでは逃げ場などあるはずがありません。
両者の関係を一旦保留するなんて選択肢はないのですから。
たまたまその場を共有することがある人が友人だという考え方は、
そういう意味では人間関係のくっつく離れるに関して、とても柔軟です。
人間生きてればどんなに仲が良いとか、好きだとか思った人とでも、馬が合わなくなることだってあります。
そういう時はさっと距離をおけばよい。
無理に合わせようとするのではなくて、なんでそういう状況になっているのかを考えてみたり、自然とまた一緒にいられる距離感を保てるようになるまで待ってみたりする。